1973年9月22日: クロード・キュザン/Claude CUSINがリュフェ/Ruffeyで非常にクオリティの高いワイン16ミュイ(*)を購入し、販売。
*ミュイ/muid:昔の容量単位。地方により異なるが、パリではワインの場合約270リットル。
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1809年1月23日: ジャン=ジョゼフの息子エティエンヌ(1784-1827)がジャンヌ=ルイーズ・バルビエ/Jeanne-Louise BARBIER(1791-1839)と結婚。結婚の洗礼年のワインが今もカーヴに残る。
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フランス革命時: 事業が危機に瀕したが、1822年2月1日生まれのアンリエット・キュザン/Henriette CUSINがこれを救った。彼女は1849年6月20日にソステーヌ・ラモー/Sosthene RAMEAUX(1827-1909年)と結婚。彼らはカーヴの改築を行い、ブドウ畑の拡張に努めた。1847年にはアルレィ/Arlayのワインを1リットルあたり7-12サンティームで販売した。
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1890年: 1870-1880年にかけて蔓延したフィロキセラが原因で、ブドウ畑は壊滅的な大打撃を被った。アルレィの有力なメゾンは悉く倒産し、ブドウ樹が植樹されることはなかった。これがドメーヌ・ブルディにとって再出発のきっかけとなる。1871年5月5日、ソステーヌ・ラモーは長女をアルレィの有力栽培家の息子、ジャン=ギョーム・ジェルマン/Jean-Guillaume GERMAINに嫁がせ、ジャン=ギョーム・ジェルマンがブドウ畑を立て直した。ジャン=ギョームの娘と1986年10月3日に結婚した娘婿のフランソワ・ブルディ/Francois BOURDYがブドウ畑の復興に手を付くし、ドメーヌとしての再出発を果たした。
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1914-1918年: 第一次世界大戦。ワインの価格(1リットルあたり)が35サンティームから55サンティームに達する。ワインの相場が初めて上向きになった。
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第一世界大戦後: 第一次世界大戦が終結。ジャン・ブルディ/Jean BOURDYと妻のアンドレ・ラモー/Andree RAMEAUXによって事業が再開された。1904年生まれのジャン・ブルディは学業を終えた後、すでに数世代にわたり受け継がれてきたブドウ栽培と醸造に携わることを決意。彼は、アルレィ及びシャトー・シャロン/Chateau Chalonのブドウ畑を拡張、原産地呼称「アルボワ/Arbois」及びレトワール/L'Etoileを加え、ジュラの4アペラシオンを市場に売り出した。1928年に息子クリスティアン/Christianが生まれた後、さらにカーヴの増築を行った。
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1939年: 第二次世界大戦後にアメリカ合衆国とイギリスに向けてワインの輸出を開始。1949年にはジャン・ブルディが外交官であるラモンジ/LAMONZIE氏と専売契約を結び、ジュラ・ワインの販売に乗り出した。今日、ドメーヌのワインは130を超える都市で流通している。
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1929-1992年: カーヴ・ジャン・ブルディは国内外の様々なコンクールで140以上のメダルを獲得。1966年のブダペストのコンクールでは1,500ものオールド・ヴィンテージのワインのなかかた、ドメーヌのシャトー・シャロン1934VTが銀メダルを受賞。ちなみに1943VTのワインは現在も販売されている。
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2006年: 10ヘクタールのブドウ畑を所有。ドメーヌは、ボーヌの醸造学校を卒業したジャン=フィリップ・ブルディ/Jean-Philippe BOURDYが当主を務めており、ブドウの栽培からワインの醸造、瓶詰めを一手に引き受けている。また、IGS(Institut Superieur de Gestion=高等経営研究所)で学び、MBA(経営学修士)を持つジャン=フランソワ・ブルディ/Jean-Francois BOURDYがジャン=フィリップの片腕としてドメーヌの運営を支えている。
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