HOME >> 生産者情報 >> ジャン=クロード・ベルエ(フランス/ボルドー地方) 

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ベルエ・ファミリー
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パーカー・ポイント100点
ボルドー史上最多獲得
シャトー・ペトリュス
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シャトー・ペトリュス訪問記
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ジェーン・アンソンによる
ジャン=クロード・ベルエ
とのインタビュー
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『ニューヨーク・タイムズ』
2014年7月29日
孤高の輝き
イルレギーのワイン
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『ル・ポワン』
2013 年11月30日
ジャン=クロード・ベルエ
たぐい希なる醸造家
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『ワイン・サーチャー』
インターヴュー記事
2013年5月29日
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英『デカンター』
ベルエ父子の特集記事
2010年1月号
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商品ラインナップ
イギリス『デカンター/2010年1月号』に
ベルエ父子の特集記事が4ページにわたり掲載されました。
「ペトリュスは私の前からありましたし、オリヴィエの後もここに残ります。
我々の仕事は観察し、このブドウ畑で絶対必要なものを維持することなのです。」
ジャン=クロード・ベルエ

 オリヴィエ・ベルエは、彼の父であるジャン=クロード・ベルエからペトリュスを引き継いだ際、ファン・レターに答えることも責任の一つになるとは気づいていなかったかもしれない。しかし、この小さなポムロールのシャトー(わずか11.5ヘクタールで40年以上その広さは変わっていない)を運営することは、決して普通のワイン醸造の仕事と同じではない。
 格付けのないボルドーであるペトリュスは物理的なシャトーを持たず、カベルネ・フランをほんのわずか使用したほぼ100%メルローのワインである。1945年まであまり有名ではなかったが、現在はそれを味わったことのある人は少なくても、その名前を知らない人はほとんどいないほど象徴的なワインとなり、その価格は1本あたり1,000ポンドもする(2005年物のペトリュスは、今ではおよそ2,800ポンド)。ベルエの仕事は誰もが憧れるものだが、彼が引き継いだ2008年1月までペトリュスでの経験がまったくなかった29歳の青年にとっては、最も怖気つくような仕事だった。
・・・ペトリュスを引き継ぐことは夢にも思っていませんでした。権利意識はまったくなかったので、その話が出た時には本当に驚きました。
 オリヴィエはペトリュスで仕事をしたことはなかったが、500メートル下がった、やはり右岸で象徴的なシャトーであるシュヴァル・ブランでピエール・ルルトンと一緒に働いていた。
・・・土壌もブドウのブレンドも違いますが、素晴らしいワインを追い求めるという哲学は同じですし、父の英知があることを幸運に感じています。

多少怖気ついたのは確かですが、ワインを造っている時は、ペトリュスのボトルが何を意味しているのかを考えることはありませんし、そのボトルに何を入れるかなんて、なおさら考えることはありません。技術的な判断をする時には、多少距離を持つことが必要です。もちろん、“ペトリュスに値するワイン”を造ることにプレッシャーはありますが、威圧されずに、明瞭に考える必要があるのです。ブドウ畑と樽とずっと関わらなければ、何が起こっているのかを見逃してしまいます。
 彼の父はうなずきながら、
・・・私が最初にジャン=ピエール・ムエックスに採用された時には、ペトリュスのボトルを見たことも、ましてや飲んだこともありませんでした。無知でしたが、仕事が始まったら、それをとことんやり始めたのです。働いているワイナリーの名前を忘れてしまう代わりに、そのワイナリーと会話を始めているものです。“これはペトリュス、これはトロタノワ”と考えながらワインを造ることはできません。ブドウが伝えてくれることに集中するのです。ブドウの方から、“ありがとう”とか、“どうして、今そんなことをするの?”とかを。
と続けた。
伝統の維持
 ベルエは単にシャトーを代々引き継ぐのではなく、ワイン造りの役割を父から子へと引き継ぐことにおいて、ボルドーで長い歴史を持つ。父から子への引継ぎで最も有名なのは、オー・ブリオンのジャン=ベルナールから引き継いだジャン=フィリップ・デルマだろう。
 ジャン=フィリップは、引継ぎ時の父と子のあいだにある緊張に関して述べたこともある。このことから考えても、非常に影響力のあった前任者かつ父の監視下における初めてのワイン造りに関するこの取材が、オリヴィエにとって簡単なものではなかったことと想像する。クリスチャン・ムエックスは、ジャン=クロードのペトリュスへの貢献に関して、「長期的なだけでなく、計り知れない貢献」と述べている。まさにその通りで、彼の残したものの大きさに驚いてしまう。
・・・引退後のことをいろいろ計画していましたが、相変わらず時間はまったくないもので、しようと思っていたことは何一つできていません。今までとなんら変わりなくペトリュスに情熱を持っていますが、今は、それを息子と分かち合うことができるようになりました。オリヴィエは自宅に住んでいるので、たとえ、週に一度しかペトリュスに行かなくても、朝食を食べながらブドウ栽培に関する哲学や、偉大なワインの在り方について話し合っています。しかし、ワイン造りというものは絶対的な命令ではなく、どちらかというと概念なのです。ペトリュスは私の前からありましたし、オリヴィエの後もここに残ります。我々の仕事は観察し、このブドウ畑で絶対必要なものを維持することなのです。
 ペトリュスは、標高約40メートルというポムロールで最も高いところに位置しているので、メルロー95%、カベルネ・フラン5%の区画は、自然に水はけされる。そして、それ以上にこのワインの神話とも言える価値を最も引き出しているのが、その土壌である。ここの土壌は砂利や砂の多い近隣のものとは大きく異なっている。ペトリュスの粘土はおよそ70センチのバンドで、均一。高密度な鉄鉱と水の供給を調整するために非常に役立つスメクタイトという粘土鉱物を含んでいる。根元まで60-70センチほどあり、これはブドウの樹は、もっぱら鉄の豊富な粘土で育てられているということを意味していて、決して浅くはない。暑い年での過度の水分ストレスもなく、降水量の多い年に安定した給水があるので、土壌・心土ともにバランスが取れ、この贅沢で、忘れることのできないワインを造る、豊かで複雑なメルローが育つ。
・・・粘土土壌のメルローは、砂利土壌のカベルネ・ソーヴィニヨンのような古典を造り上げることができます。
と、ジャン=クロードは説明する。
 品質におけるもう一つの鍵はブドウ樹の樹齢で、これは平均40年に保たれており、6年から9年ごとに1ヘクタールずつ植え替えられている。
・・・台木は進化しているので、我々は毎年100本の樹をマッサル・セレクションしており、そのうちの3分の2を使用しています。最良の樹を使っていて、過去と直接繋がっています。
とオリヴィエが説明したところ、ジャン=クロードは、
・・・これは伝統を守るという考えの下からきていて、我々にとってとても重要なことです。そこには現代の哲学はありませんが、我々に与えられた価値観があるのです。
と延べ、
・・・伝統という言葉は、たびたび誤解される傾向にあります。これは、単に伝統ということを意味しているのではなく、変える必要のあるものと、維持しなくてはならないものを見るということを意味しているのです。
と、オリヴィエが再び割って入った。
穏やかな変化
 この継承が名前だけではないのは、他でも表れている。まず、ジャン=クロードは、すべてのムエックスの技術的な指導者であったが、オリヴィエはペトリュスだけを引き継いでいる。ムエックスのチームはすべてのシャトーで作業をしていたが、今日、ペトリュスは個別の事業として運営されている。ペトリュスは、クリスチャン・ムエックスの兄弟であるジャン=フランソワの所有であるのは変わらないが、エタブリスマン・ジャン=ピエール・ムエックスを通して、以前は、クリスチャンが醸造、マーケティング、販売を担当していたのに対して、今は、ペトリュスは独自のチーム、設備、建物、そしてスタッフを抱える。つまり、オリヴィエは、ブドウ畑常勤のスタッフ4人とワイナリー常勤のスタッフ1人のチームに、フランソ・ヴェイシエ(エタブリスマン・ムエックスのセラー・マスター)、クリスチャン、ジャン=クロードをコンサルタントに迎え入れた。
・・・彼ら(ムエックス兄弟)は、今後の相続を容易にするため、2つを分ける良いタイミングだと判断したようです。二人とも60代に入り、子供たちのことを考え始めたようです。
と、ジャン=クロードは説明する。ジャン=フランソワには、娘2人と息子1人がいて、現在、息子がジャン=フランソワのネゴシアンで働いている。
 ブドウ畑とセラーにも穏やかな変化があった。オリヴィエのシュヴァル・ブラン以外の経歴としては、ブドウ栽培の学位をトゥールーズで、父と同じワイン醸造の資格をボルドーで取り、年間4,000万本ものワインを製造している工業規模のオーストラリアのワイナリーで働いた。また、ロマネ・コンティ、シャトー・マルゴー、シャトー・オー・ブリオン、コニャックのレミー・マルタン、オーパス・ワンの隣にあるなナパのシルバー・オーク・セラーに従事した経験を持つ。この経歴を見ても、オリヴィエが新鮮な目をペトリュスに入れてくれることは間違いない。
 ブドウは、依然セメントの発酵槽で醸造され、50%は新しいオークで熟成しており、以前と変わらず丁寧に取り扱われている。しかし、2009年の収穫で、ペトリュスは初めてレーザー光選別機を用いた。
・・・そのスピードは、本当に素晴らしかったです。
と、ジャン=クロードは指摘している。
・・・選別におけるすべてのリスクを回避してくれるのです。オリヴィエはブドウ畑においても役に立つ近代技術があることを教えてくれました。45年も経つと、何でもある特定の方法でやることに慣れてしまうものです。でも、若いと意欲があり、何に対しても疑問を投げかけます。ここに息子がいるおかげで、私も再び若返ることができました。

・・・ペトリュスには独特の風格、香り、タンニンの質があります。定量化することも測定することもできません。度を過ぎた果実味やエキスといったどこにでもあるものを求めていません。最高のワインはどこから来ているのかを表現しています。そして、父はそれを可能にするために必要な忍耐と努力を教えてくれました。そして、何より父はワイン造りに必要なワイン造りの工程を楽しむことを教えてくれました。
と、オリヴィエは父のコメントに嬉しそうに語った。
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